農業用水の確保は今も昔も苦労する
いつの時代でも水争いは絶えなかったようで・・
玉島村と岡山藩領の隣村の庄屋たちとの間で七島のうちの1島を譲り受ける代わりに高瀬通しの水を供給する約束が出来ていたが、岡山藩の郡奉行の横槍で破談になった。何と心の狭い役人だろうね、お陰で岡山藩領の村は用水確保に大変苦労したそうな。(新玉島歴史散歩 第6話「玉島平野の水争い」より)
玉島の名水(続編)
前回の記事で玉島には真水の湧き出るところが数箇所ある、と書きましたが
これを読んだ読者の一人から貴重な情報をいただきました。それは渡辺先生の
著書「玉島むかし昔話」の中に収められている資料で、それに依ると
名水は柏島に5箇所、乙島に3箇所の記述があります。具体的な位置は地図を
参照してください。
【柏島】
① 眞川 玉島中 老人憩の家付近
② 不老川 海徳寺登り口 太田功氏宅前
③ 浜の川 平尾 山本酒造裏通り北西角
④ 天神川 天満町 天満宮 裏山
⑤ 大井川 大井 大井池のほとり
【乙島】
A 泉谷大井戸 泉谷大池の東岸奥
B 旭日の井戸 水溜南斜面
C 夕日の井戸 水溜北斜面
源平合戦当時の島の形と推定されます。二点鎖線は現在の陸地を表しています。
また、源氏・平家それぞれの軍船配置図は次のように推定されます。
歴史館に新しいトピックを公開しました
今回から渡辺義明先生の著書を元に新しいシリーズ「新玉島歴史散歩」を公開していきます。先の大田先生の「玉島歴史散歩」とテーマ的に重なっているところが多いのですが、歴史とは人によって見方が違うものです。そこのところがまた面白いと思います。そういった観点からも楽しんでください。
さて今回は第3話の源平の戦いの巻についてお話しましょう。
平家が勝利した唯一の戦いが水島合戦です。水島というと工業地帯が連想されますが、ここでは玉島の南、乙島と柏島の沖合で起こった海戦なのです。先日源氏方の本陣があったと伝えられている常照院を訪ねたとき本陣跡を示す碑を確認しました。しかしそこへ行くまでの案内板が無く、細い道をグルフル巡ってようやくたどり着いたのです。折角の歴史的記念碑なので道案内板くらいは整備してほしいものです。地元の人に訊いても知らない人が結構いますね。
現在は源平大橋という橋がまたがっています。もし源平時代にその橋があれば、そこから合戦の様子が目の当たりに見られたのではないかと想像すると何やら楽しくなってきますね。
さて本文にもありましたが、水島の「水」は真水が湧き出る島ということですが、乙島も柏島も小さな島なので本当に水が湧き出るようなところがあったのか、不思議ですね。今でも湧き出ているのか調べてみたいと思いませんか?