Cafe-Rekisikanのブログ

玉島歴史館喫茶室でコーヒーを飲みながらおくつろぎを

2022-01-01から1年間の記事一覧

次の企画まで充電期間

玉島歴史の連載が終了して、一息ついているところです。当分の間休息期間をとりますが、今年の秋を目標に次の企画を検討して行こうと思っています。何をするかというと玉島の郷土史に関する講座を数回に渡って開こうかと・・ 但し玉島歴造は郷土史の研究家で…

玉島歴史館の公開が最終回を迎えました

昨年11月から連載を続けていましたが、今回をもって最終回となります。最後を飾るのは「幻の吉備大島」後半第5話~第7話となります。約5ヶ月の間楽しみに待って居られた方には大変申し訳ありませんが、一応今回で終了とさせていただきます。なおサイト…

新倉敷駅前で訴えます。是非参加を希望します

今回のウクライナ侵略に対して声を上げましょう。私達とその仲間は今回のロシアのプーチン大統領の非人道的な暴挙に対して怒りの声を上げることにしました。 期日は7日(月)朝7:30~8:30、8日(火)夕6:00~7:00 の2回。 場所はどちらも新倉敷駅南口です。 …

ロシアの侵略は許せない

ウクライナへの侵略が始まって1週間経ちました。プーチンの行動は常軌を逸しているとしか思えません。いくら情報統制をやっても、この時代に完全な規制はできません。今にロシア国内の内部から体制崩壊の機運が高まり、そんなに遅くない時期にプーチンは失脚…

幻の吉備大島を歩いてみた

喫茶室マスター(玉島歴造氏)は山歩きが好きで岡山県内の山をかなり歩いています。彼は本編の舞台となった幻の吉備大島も数回走破しています。スタートは玉島の黒崎公園から尾根伝いにアップダウンを繰り返し、金光~鴨方~寄島までの約15Kmとなっています。…

幻の吉備大島始まりました

玉島の西側に位置する浅口・里庄・笠岡ははるか昔海でした。対面には大きな島が浮かんでいてその間は狭隘な水道が横たわっていたという。今ではその面影すらもなく、古の文献に頼って想像するしかありません。今回のテーマはその地域について言伝えや伝説か…

昭和初めの玉島駅(現在の新倉敷駅)の風景です・・第6話

この頃は田んぼが広がって田舎駅そのものでした。この地図を見るとどれが昔からの道なのかが一目瞭然でわかります。歴史館にしばしば登場する高瀬通しもよくわかりますね。この頃は未だ玉島湊の方が経済の中心だったようで、湊~駅間には馬車、人力車、バス…

思い出の修学旅行

渡辺先生は小学校の教諭でした。このトピックは、先生若かりし頃の修学旅行で引率されたときの様子が描かれてあります。昭和26年秋の金毘羅参りのことでした。この4年後には痛ましい紫雲丸の沈没事故が発生します。

結構やるじゃん・・第5話 僕の日記から

昭和50年の入場券が載っていたが金額は30円、隔世の感あり。おじいさんの話に出てくる勘太郎橋は道越にあり、その時代(明治27年)に建てられた道標、「くらしきステーション」はいまだ健在で、現在建設中の新倉敷北と金光下竹を結ぶ道路の脇に移設され…

鉄道物語後半の5話から8話を公開しました

玉島の鉄道物語、後半は玉島駅を利用する庶民の旅行の変化を、 当時の少年や老爺の目を通して面白く語らせています。 このあたりになると渡辺先生の直接の目を通して記述しているのが 感じられとても親近感が湧いてきます。読者の中にはその当時を 思い出し…

第4部 玉島鉄道物語(前半) 公開しました

1891年(明治24年)、玉島はいよいよ鉄道時代を迎えます。当時倉敷~笠岡間に鉄道が敷かれ、長尾村に玉島駅が建設されました。その後は次第に整備されていき、新幹線停車駅へと進化して現在に至っています。今回公開するのは玉島鉄道物語と題して鉄道に…

明治の廃藩置県で玉島が最有力候補になる

廃藩置県で備中と備後東部を合わせた県構想で玉島が最有力候補に挙げられました。 羽黒山を県庁にという計画だったのですが、高所であることや玉島が湿地帯であるなどの理由で廃案となりました。残念!・・第1話に掲載

第3部 玉島・近代編の公開です

時代はいよいよ近代になってきました。日本は明治維新を迎え、文明開化の波にさらされていきます。玉島も例外ではありません。激動の明治をどう生き抜いてきたのか、主なトピックスを5話選んで「玉島・近代編」としてお送りします。