Cafe-Rekisikanのブログ

玉島歴史館喫茶室でコーヒーを飲みながらおくつろぎを

結構やるじゃん・・第5話 僕の日記から

昭和50年の入場券が載っていたが金額は30円、隔世の感あり。
おじいさんの話に出てくる勘太郎橋は道越にあり、その時代(明治27年)に建てられた道標、「くらしきステーション」はいまだ健在で、現在建設中の新倉敷北と金光下竹を結ぶ道路の脇に移設されている。実際に見に行くには富田地区のいしぶみマップを参照してから行くのが良い。

記事の最後に昭和10年の時刻表が載っている。汽車賃は大いに変わった(高くなった)が、所要時間のほうは何とそんなに変わってない。昔の国鉄は結構頑張っていたのだなぁと、意外なところで感心する。

鉄道物語後半の5話から8話を公開しました

玉島の鉄道物語、後半は玉島駅を利用する庶民の旅行の変化を、

当時の少年や老爺の目を通して面白く語らせています。

このあたりになると渡辺先生の直接の目を通して記述しているのが

感じられとても親近感が湧いてきます。読者の中にはその当時を

思い出している方も大勢おられることでしょう。各話については

また改めてここに掲載するつもりでいます。

乞うご期待!!!

 

第4部 玉島鉄道物語(前半) 公開しました

1891年(明治24年)、玉島はいよいよ鉄道時代を迎えます。当時倉敷~笠岡間に鉄道が敷かれ、長尾村に玉島駅が建設されました。その後は次第に整備されていき、新幹線停車駅へと進化して現在に至っています。
今回公開するのは玉島鉄道物語と題して鉄道に関するトピックスになります。

明治の廃藩置県で玉島が最有力候補になる

廃藩置県で備中と備後東部を合わせた県構想で玉島が最有力候補に挙げられました。

羽黒山を県庁にという計画だったのですが、高所であることや玉島が湿地帯であるなどの理由で廃案となりました。残念!・・第1話に掲載

第3部 玉島・近代編の公開です

時代はいよいよ近代になってきました。日本は明治維新を迎え、文明開化の波にさらされていきます。玉島も例外ではありません。激動の明治をどう生き抜いてきたのか、主なトピックスを5話選んで「玉島・近代編」としてお送りします。

新玉島歴史散歩の最終版を公開

「新玉島歴史散歩」は今回を持って最終回となります。
今回は「第11話 高瀬通しと高瀬舟(前編)」~「第14話 玉島湊の衰退」までを公開しました。
次回からは明治以降を中心とした「玉島近代編」が始まります。ご期待ください。
【読者の皆さんへのお願い】
これまで読んでいただいた感想があればぜひコメントをお寄せください。