Cafe-Rekisikanのブログ

玉島歴史館喫茶室でコーヒーを飲みながらおくつろぎを

羽黒神社の役割

第3話で羽黒神社が採り上げられています。備中松山の城主水谷(みずのや)勝隆が出身地の常陸国から羽黒神社を勧請(招く)されたと言われてます。名前からしていかにも関東の神社らしい匂いがしますね。当時は干拓地が出来たばかりでして、今でいうと巨大な新興団地が誕生したようなもので、住民は近郊各地からの寄せ集め集団だったのです。そこで羽黒神社を建てることで住民の心を一つにまとめる、いわば干拓のシンボルとして一種の街興しを狙ったのでしょうね。
これが大成功して、現在でも神社を中心に祭りや各行事が続いているといえます。
水谷勝隆は干拓事業だけでなく、人心をつかむ優れたプロデューサーだったといえるのではないでしょうか。